恐怖の実習

 看護学生の何が辛いかと聞かれたら、大半の学生たちは「実習」と答えるでしょう。正式な看護師でもない、実に中途半端な立場での臨床実習というのは、忙しく働いている看護師から邪魔者扱いされる存在でもあるのです。もちろん看護師の義務として後輩や学生の育成という項目はあるわけです。しかし、病棟やナースステーションをうろうろ、情報収集でカルテを覗き込んだり、忙しいさなかに記録物の指導など、学生が煩わしさを感じさせる存在であるのは事実でしょう。学生も十分わかっているのですが、そういった指導者との距離感や温度差のようなものが強く感じられるとき、実習に向かう足は自然と重くなってしまいます。また、患者の援助にあたり技術を学ぶことが本分であるのに、患者から拒否されたり不安材料となってしまうことも少なくありません。

このように看護学校の数年間で、患者・医療者からの拒否や拒絶を、普通の人間関係ではそうそう目にかかれないほど経験します。医療者とのコミュニケーションは仕事の関係上仕方のないことであっても、患者さんとの関係は良好に保てなければ、実習期間がとても長く辛く感じることもあります。また、実習にはレポートがつきもので、このレポートが実に大変なのです。量も相当なものですが、求められる内容・質が非常に高い!実習がひとたび始まると、毎日の睡眠時間を削って文献探し、病体の生理の学習、レポート作成に充てなければなりません。みんな目の下のクマは看護学生の証と呼んでいました。実習の厳しさに辞めていく学生も、中にはいました。実習も看護師になるために必要な授業と同じなので、欠席すると単位を落としてしまいます。そういった緊張感や緊迫感に背中を押され、実習は毎回、毎日が自分との戦いでした。全ては看護師になるという目標のため、一心不乱に駆け抜けたという感じです。

しかしながら、実習での医療者とのやり取りや、患者さんを受け持つ過程での挫折や辛い体験というのは、実はコミュニケーション能力を高めることにとても役立っているのです。当時はそんなこと気づきもせずただ辛いだけですが、もとより、4週間やそこらで患者さんのこと全てを理解しようということが難しいことなのです。人間関係はそんなに薄っぺらなものではありませんし、人の気持ちを推し量りながら少しずつ構築していくものです。もちろん、理解しようと努力すること、その姿勢は大切です。理解したい、援助したいという真摯な態度はきっと良い方向に向かうと思います。ただ、やはり学生にできることは、すべての看護行為のほんの一握りです。患者さんに必要な援助をしてあげる、ではなく自分が「させてもらっている」という意識で取り組むことが、まずもって必要なことです。レポートにしても、看護師の業務は「処置」か「記録物」といって良いほどであり、こと記録に関しては、看護独特の視点や書き方があります。看護計画の立案やアセスメント、評価に至るまでの基本を学ぶ大切な教材、それが学生時代のレポートなのです。無駄なものは何一つありません、今学生で辛い辛いと実習に行っているあなたも、少し先を思い描けば必ずやその価値が見出せると思いますよ。